研究者1203のブログ

「地獄」って何?地獄について考えた記事を色々書いてます。

地獄について書いたらどうよ。始まり。

地獄っていっても、リアルな地獄の宗教宣伝じゃないよ。

専門書というより、なんか軽い楽しい売れる本ないかな。
そんなことをいつも行く喫茶店の店長に相談してみた。
いろんなお店を出してて面白店長だから、なんかいいアイディアもってそうって。
やっぱり自分で商売している人じゃなきゃ、売れるものは考えられなさそうだ。
私も研究者だから研究書を出したけど、半分自費出版みたいなもので、今の勤務先がお金を出してくれたんだけど、一般流通はほとんどなし。売れても図書館が買うだけ。内輪で回ってるね。

実は、出版社は、執筆者が入れたお金でほとんど元が取れるみたいな。
だから、人文系の研究書なんてよっぽどの人の以外は、どこの出版社から出しても、自費出版と変わらない。

で、今度はそんな状況では意味ないから、売れるのがいいなと。
儲かることはないけど、なんか人に読んでもらえるのがいい。そのほうが楽しいから。なんかそっから仕事の幅も広がりそうだから。

で、もらったアイディアが、「1203君、地獄について書いてみなよ」。

偶然、横にいたお客さんが話してた言葉に、「さっきの聞いた、地獄、これのこと」、とさらに続けて店長さん。

お客のセリフが何かっていうと、「さっき、河原町歩いてきたんですけど、この雪のちらつく寒い日に、若い女の子が、レンタルの薄っぺらい着物着て、打掛もなしに歩いてたんですよ。これ見て、まじ地獄やなって思いました」。
若い男の人のセリフ。

この地獄って一体なんやろうという感じだけど、店長さんは、「『レンタルの薄っぺらい着物』っていうのがミソやで。そこ外したら難もおもんない。1203君は真面目やから、そこ削除しそうやろ」。って、店員さんに振り向きつつ説明してくれた。

要するに、「今の人も地獄って使うけど、それってホントの地獄じゃないやん。地獄って、そんなもんじゃない、もっとありえへんところ。ヨブ記見てみたら、むちゃくちゃやろ。」

ヨブ記は、聖書に出てくるけど、たしかにありえん。主人公のヨブは、真面目なのに勝手に神の思い付きで家族が死んで財産も失って友人も無くなって、病気になってホームレス。神に何で真面目に信じてるのにって聞いても、偉そうに問うなというお返事。どうしようもない。
最後は、助けてくれてまた幸せになりましたっていうけど、死んだ家族は戻らんやろう。

で、それで、そんな昔ばなしではなくて、現実社会ならどんな例があるのか。
店長さんがいうには、経済で言えば、倒産と自己破産て思いつく。会社を自分でしてるからね。そうなったら、大変だ。
でも、そんなのは、「ほんとの地獄じゃない」とのお言葉。「そんな地獄って、人間が作ってるだけでしょ。もっと深い地獄がある。」

まあ、たしかに、そうかも。倒産自己破産してる人は世の中たくさんいるし、それでみんなが自殺するわけでもないし。

でもどうなんや。ヨブとか極端な例と比べたら、なんでも地獄にはならないな。焼身自殺で燃えてる途中の痛みも、地獄にならんよね、その間は痛いけど、死んで楽になる希望はあるわけだし。

でも、店長さんに聞いてみたら、「いろんな分野の地獄があるよね、わたしたちが地獄だって思いこんでる地獄シリーズ。政治でも、法律でも、人間関係でも、宗教、文化でも。それで一冊エッセイ集できるじゃん」。

そういうもんか。たしかに地獄シリーズでたくさん書けそう!
地獄少女の「一遍死んでみる?!」が頭に思い浮かぶよね!
かわいい顔した怖いセリフ。

って言えたらいいけど、よく考えてみたら、現代社会の地獄という言葉の使われ方と連想を調べてみるという話かな。

それって、どうやったら面白くなるんだろう。

地獄。閻魔大王に下を引っこ抜かれるって考えがすぐに出てくるけど、ヨブ記に実は地獄って出てこない。あれは神との対話で、悪魔と神と天と地上が出てくる。
そんときにユダヤ人に地獄っていう発想はなかった気がする。
地獄少女は、なぜか地獄の入り口は鳥居が立ってて、船で移動してるけど。

面白いエッセイってどうやって書きますか。

 

 

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